Oil paintings&Drawings

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14年目を迎えることができました。最近ふと、子供の頃あてもなく気持ち悪い昆虫や珍しい石などを見つけては、みんなを驚かせたり、呆れさせていたのを思い出しました。今では目に映った風景やものが瞬く間に消えていってしまうのを追いかけています。少しでも捉えることが出来れば、それはきっとみんなも驚くようなものだろうと強く願っています。

描きだした箇所からどこからが惰性的になってしまうのか、とても慎重に行わないといけないことに気づいた日でした。 と言っても自分の場合は感覚で素早く、考えてしまう隙もなくただひたすら描写していくのには変わりませんが、時々理性が現れそれまでを訂正しようとします。そんな自分との向き合い方が大事なようです。

今日は特に何の目的も構想もなくフラフラと行き着いた対象はとても目に入りやすい木々の並ぶ様子だった。ここで三脚を立ててキャンバスをセットし10分ほど描くかどうかまだ迷う。だが描き出したきっかけや心意気など全くないまま遊んでいた。描き出すとこだわりが現れる。対象が見えているものと対象を観たときの映像が異なるからだ。ボワっとした何かを追い続けている。

心地よい天気の中でのんびり描いていると、ふとした時に自分の思考が描写に入り込んでくる。大抵はその異物に気づくがそれよりもその異物を処理するため、自分のためだけの描写が重なっていく。その行き着く先は絶望なのは何度も行ってるから知ってる。

ステンドグラスのような、幾つもの面が連なる様子なのか。描き終えたものを眺め所々に出来る面の様子に手応えを感じた。面と解るものに惹かれるのだろうか。

2010年から独学で描き出し、対象の認識の変化によって自然と画風が変化していましたが、3,4年経った頃から描くモチーフをまず探すようになりました。こんな心境が続くこと約10年の間、試行錯誤を続ける日々でした。描く理由を探していたのです。 考えるのは後です。描いている最中に自然と進みます。 そのことをすっかり忘れていました。再出発のような気分で挑んだ今日の一枚です。

色や音は重力に関係なく自由に動くことが出来ると思っていたが、色も音も根本はたった一つのアクションだけがあるのだろうか。それとも空間で連続したアクションに変化しているのだろうか。 キャンバス上での重力を決定させるのは作家に委ねられているけど、形や流れで下なのか、画面の奥なのか、それとも上なのかは自然に創られることに気付いた。 今日描いた抽象の絵は最後下部に一本の線を縦に引いてしまったが、この失敗で気がつけた。

自分は何に関心を持ち風景を描いているのかを改めて考えたとき、遠近法や立体感、質感、存在感以外であるといえる。それらは彫刻で表現するのがよいだろう。だけどそれを求めていそうな作風になるときもある。もうちょっとという意識がずっとあるが、それがなかなか進まない。自分は、得に何に惹かれて描いているのか、はっきりとした答えが言えないのが答えであるが、それを絵で表現することもまだまだ。

アプリで日雇いのような形でアルバイトができるのを見つけ最近始めた。 高校を卒業してからはこのような形の生活が当たり前になっていたが、絵を描きだした30歳からはそれすらも辞めて絵を描き続けるのだと意気込んでこれまで生きてきた。今思えば現実逃避だったかもしれない。無銭で絵を描くため旅に出るという形の放浪の時期が3度あった。いずれも大雨の中野宿していたのを思い出す。浮浪者から缶コーヒーを奢っていただいたこともあった。

景色のような光景はとても壮大で儚く、切なく、寂しい気分にさせるものです。よくよく思い巡らせば、心惹かれるものにはそのような気分にさせるものでした。

画業13年目を迎えました。 不思議と自分にとっての画家像は初めからずっと変わりません。なぜだかこのような想像をしていて、この世に存在もしていない僕の中だけの画家像ですが、気づいたときにはその人ならどうするかを想像してその通りに動いてきています。

普段描いている鉛筆でのスケッチ作品を動画で紹介しています。音楽は恩師であるギタリスト・作曲家である 清野拓巳氏のアルバムBook AppleからHere Is Your Place。

約10年大阪市内を独学で油彩画、鉛筆画を描き続けてきました。動画で見る淀川の見える場所は特に勉強になっっている場所です。

突き上げられた衝動から根拠を見つけるのは難しい。動き出した自分を継続させるのは、それに伴う行動をし続けることでしか継続されない。この衝動と出会えるのは人生で数回だけだろう。

これまで先人達の、「その通り」とされた、幾人かの画家の記述、作品を知り、それが支えとなっていたため、迷うことなく様々に意識を変革させ絵が変化し、その度に「そうだよね」と共感し合える今は亡き人との会話の中でこ れまでやってこれた。

「見ていないときに、見えているものを観る」見ていないときに見えているものの視線、眼差し、心を汲む術は空に在り、見ている者への同化への過程に、深層が優位になるにつれ、表層は単純になっていく。

色の世界での素描、彩色。物質の世界での素描、彩色。どちらかにしか立つことは出来ない。魂、心は不動。物質の世界での作品は価値を読ませる。

絵は綺麗だと想ってしまうものがいい。何故綺麗なのかと理解出来ない混乱が、引力に繋がっている。これは意図的には生み出せない。しかし土台は意図させないと直感は生きてこない。

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