人によって様々な感想を抱かせる作品は、様々な心境のようなものを持ちながら制作されたものだろうから、制作する際の心境なのか環境(感情は論外、ゼロで制作)をシンプルに、ほぼ何も無いのと同じくらいに研ぎ澄ませていけば、ひとりの鑑賞者の抱かれる感想はそれは皆平等に感じるということに繋がり、共有度が増す。
何も無いという作品において自身を見つめることへと感想が進むならば、それがたったひとつの「自分を観る」というだけの感想である。
しかし鑑賞者にとって、これは寂しいと感じられる方が、その寂しいという感想を他者へ共有しようとしたとき広がりは起きない。そんな行為を呼び起こさせないように、作品自体の完全性、それ以前に作者自身の完全性が必要となる。
作者自身の完全性とは、線を引いたとき、色を置いたときに感じるそれである。それが全ての線、全ての色に移すのは神業としか言いようがないが、出来るかもしれないという期待がこれからもずっとずっと描かせる。